二つの日本1

 そのタイミングで書かれたこの文章からは、当時すでに外国人の増加が日常生活の中で実感されていたことが感じられる。最近になって外国人が急に増え始めたというような感覚を持つ方も多いかもしれないが、それと似たような感覚は随分と前から存在していたのだ。(1988年在日外国人)

変化
 ✪ 昔1988年に94.1万人だった外国人は、2018年にはほぼ三倍近い263.7万人だった
 ✪ 2018年年末の臨時国会では新たな在留資格「特定技能」の創設が決まった

 日本では長らく「移民」という言葉自体がタブー視された。日本は同じ言葉と文化、歴史を共有する「日本人」だけの国であることが当然とされてきた。今でもお政府は「移民」という言葉を意図的に避け、まるで日本が一つの巨大な人材会社でもあるかのように、労働者たちを「外国人材」と呼んでいる。日本には未だに移民や外国人の支援や社会統合を専門とする省庁も存在しない。

Note:根據作者一開始用1988年出版的「在日外國人」訪問集的一段引言,早在1988年日本的出版作品就指出,為了留學或工作而來的外國人人數,可以在現實生活中明顯感受到其增加趨勢。將自己視為單一民族國家的日本,就算說他們不擅長、不情願與外國人共同生活也不為過。因此將用「外國人材」稱呼在住外國人,而避諱禁忌地不提「移民」。我想如果綜合日本電視台以外國人為取材對象所做的節目,會觀察到日本人始終把外國人當作因為某種原因而暫時待在國內的「過客」。

「移民の時代において、デモクラシーは包容ではなく、排除の手段として作用し始めつつある。欧州における多くの右派ポピュリスト政党の主要な特徴は、彼らが愛国的.保守的なのではなく、反動的であるよいうことである」。 イワン.クラステフ
すなわち、デモクラシーが包摂ではなく排除の手段となりつつある。
筆者が本書若く理由は、デモクラシーを排除の手段としない道を考えるためだ。

日本政府は深刻な人手不足に苦しむ経済界からの要請に応じて、外国人労働者の受け入れをさらに拡大しようとしている。しかし、自らの政策については頑なに「移民政策ではない」と言い続けている。
筆者は、この本を手に取る人が「アメリカやフランスがどんな移民国家であるかを知るように、日本がどんな国で、これからどんな移民国家になっていくのか」と考えて欲しい。

留言

熱門文章